【いい加減にして!永田町】「見事な引き際」に気付かなかった野田首相  ★(5){zakzak}

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【いい加減にして!永田町】「見事な引き際」に気付かなかった野田首相 
★(5)
2012.11.04
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121104/plt1211040711000-n1.htm
▼「zakzak」から全文引用


 自民党安倍晋三総裁の祖父、岸信介元首相は、首相として3つの政治目標を掲げた。1つは「占領憲法を改め、自主憲法を制定する」こと。2つ目は「日教組による偏向教育の打破」。3つ目は「日米安保条約の改定」である。

 その理由は、日本を「真の独立国」にするためであった。中でも、安保改定については、まさに「命を懸けて」取り組んだ政治課題である。

 日本国中が混乱の中、安保改定案は1960年5月20日、衆院を通過した後、参院では一度も審議されないまま、1カ月後の6月19日午前零時に自然成立した。

 この時、岸氏は首相官邸で、実弟の佐藤栄作氏(後の首相)と「死のブランデーグラス」を傾けていたという。「官邸を守りきれない」と判断した警察が他の場所への避難を求めても、岸氏は「首相が官邸を離れるわけにはいかぬ」と、まさに「命がけ」で安保改定を実現させたのである。

 1カ月後に行われる予定であった安保改定批准の祝典に、当時のアイゼンハワー大統領を招く予定だったが、国内の混乱が収まっておらず、「大統領にもしものことがあってはいけない」と、訪日を断った。これは外交信義に反すると考えた岸氏は、総理を辞任した。

 岸氏の2代前の首相、自民党初代総裁である鳩山一郎氏は、二度の脳出血による後遺症を抱えながら、日ソ国交回復を実現させた。日米同盟を持つ日本の立場や、戦後、不法に占拠された北方領土問題が解決しないなか、日ソ国交回復にこだわったのも、世界の2強との関係を正常化し、シベリアに抑留されていた日本人の早期帰国を実現するためであった。

 56年10月19日、モスクワで日ソ共同宣言が調印された。日本への帰途に立ち寄った米ワシントンのホテルの1室で、鳩山氏は側近の河野一郎氏に、帰国後総理を辞めると告白したという。米ソ対立の時代、ソ連との国交回復を行った鳩山氏を米政府が冷遇したことも、その一因のようだ。

 帰国後ただちに国会を召集し、関連する条約などを成立させ、国連加盟を実現させた後、12月14日に総理を辞任した。

 「見事な引き際」と表現するには、あまりに失礼なほど、岸氏と鳩山氏の身の処し方には、日本という国を思う心の強さが伝わってくる。自らの保身や野心、ましてや手柄の誇示のためではない。もっと大きな、そして高い視点から、日本国総理大臣としての在り方を考えていた。それは、まさに国民の幸福を願う気持ちそのものである。

 スケールは小さいが、野田佳彦首相にも「消費税増税は必要と確信しているが、マニフェストに書いていないことをやった責任はある。よって、総理の職を辞する」というチャンスはあったはずだ。

 それに気付かなかったのであれば、野田首相は、国民の幸福を願う気持ちなど、さらさらないということになる。=おわり

 細川珠生(ほそかわ・たまお) 政治ジャーナリスト。1968年、東京都生まれ。聖心女子大学卒業後、米ペパーダイン大学政治学部に留学。帰国後、国政や地方行政などを取材。政治評論家の細川隆一郎氏は父、細川隆元氏は大叔父。熊本藩主・細川忠興の末裔。著書に「自治体の挑戦」(学陽書房)、「政治家になるには」(ぺりかん社)。



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