【いい加減にして!永田町】石原慎太郎氏の国政復帰は「責任の放り投げ」<zakzak>

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【いい加減にして!永田町】石原慎太郎氏の国政復帰は「責任の放り投げ」
2012.10.31
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121031/plt1210310712001-n1.htm
▼「zakzak」から全文引用

 「オオカミ老人」なる批判もあった東京都の石原慎太郎知事が、やっと新党立ち上げを決断した。同時に、任期を2年半残して都知事を辞任するという。どこかの市長と同じく、自分の野心のためなら、仕事を途中で投げ出すような辞め方も許容されると思っているのだろうか。

 物事にはタイミングがある。特に、政治には目をつむってでも、「今」決断しなければならないこともある。だが、石原氏に限らず、最近の首長には「突然辞める」ケースが多い。本気で何かをやろうとすれば、1期4年では足りないはず。3期、4期続けたからとて、成果が積み上げられるわけではないが、任期という区切りは意味のあるものだ。

 後継候補に有力視される猪瀬直樹副知事も「4、5年やって、ようやく自分なりの仕事ができるようになってきた」という。首長は4年の任期を一区切りとして、工程を考量しながら目標となる政策を実現していく。そう考えると、在任期間の長短に限らず、任期途中での辞任は、やはり「責任の放り投げ」に値する行為と言っていい。

 齢80。威勢のいい発言をしていても、どこから見ても老人である。私は「暴走老人」とは思わないが、石原氏の威勢のよさと、都知事の職を投げ出して国政に復帰する理由のアンバランスさが、あまりにも不可解でならない。

 「中央集権の打破」や「官僚機構の改革」は、日本の政治が抱える大きな問題である。首長や国会議員をしていると、官僚機構の壁を越えられない悔しさを味わうことは多々あるだろう。

 しかし、中小国に匹敵する財政規模を誇る東京都に君臨する知事と、25年もの長きにわたって国会議員を務めていた石原氏が、「最後のご奉公」として使命感に燃えることが、「それ」なのかとも思ってしまった。

 確かに、本当の地方自治を実現させる「中央集権の打破」は、国の中心で、強烈なリーダーシップがなければ実現できない。だが、地方自治体のトップでありながら「領土を守る」という、国の役割に強い姿勢を見せてきた石原氏ならば、「何としてでも、日本を独立国にする。それが唯一、最後の私の役割」と言ってほしかった。

 言い換えれば「真の独立国にする」という思いを心底から持つ、残り少ない政治家が石原氏でもあるのだ。第3極の結集も、石原氏が中心に座るもことも、それを目標とするのなら意味がある。

 ただし、石原家から一度に国会議員3人を出すことは、「国政の私物化」に等しい。子息2人は父親を支える立場に回ったらどうだろうか。

 ■細川珠生(ほそかわ・たまお) 政治ジャーナリスト。1968年、東京都生まれ。聖心女子大学卒業後、米ペパーダイン大学政治学部に留学。帰国後、国政や地方行政などを取材。政治評論家の細川隆一郎氏は父、細川隆元氏は大叔父。熊本藩主・細川忠興の末裔。著書に「自治体の挑戦」(学陽書房)、「政治家になるには」(ぺりかん社



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