森永晴彦教授(原子核物理学)の怒り    西岡昌紀・・・もんじゅ

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森永晴彦教授(原子核物理学)の怒り    西岡昌紀
★阿修羅♪ > から全文引用
http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/377.html

森永晴彦教授(原子核物理学)の怒り    西岡昌紀
(投稿者 西岡昌紀 日時 2012 年 1 月 21 日 04:59:54: of0poCGGoydL.)

http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5107478.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1815559284&owner_id=6445842
1995年12月8日、もんじゅは、ナトリウム事故を起こしました。

もんじゅナトリウム事故(1995年)について)

もんじゅ」ナトリウム漏えい事故の概要
動力炉・核燃料開発事業団   資料 第1‐7号
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/old/koso/siryo/koso01/siryo07.htm

ところが、そのナトリウム事故が起きた際、もんじゅの現場に敷かれて居た人員配置がどの様な物であったか、皆さんは、御存知でしょうか?
ミュンヘン工科大学の教授を長く務めた原子核物理学者の森永晴彦氏は、もんじゅがナトリウム事故を起こした2年後の1997年に出版された著作の中で、驚くべき事を書いて居ます。
(以下引用)

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最近の「もんじゅ」の事故で、私が腹が立つのは、現地にナトリウムを取り扱う専門の化学者が一人もいなかったため、どう対応してよいかわからず、事故を危険に近くなるまで拡大させてしまったということである。
この問題は、すでに「もんじゅ」の事故以前から非常に気になっていた。あるとき、ある電力会社に原子力関係のことでコンタクトしたとき、応対してくれた人の中に一人も物理学を勉強した者がおらず驚かされたことがあった。私の知っているかぎり、ドイツ、スウェーデン等の外国では、かつて原子核物理学の研究をしていた私の同僚たちが電力会社で働いているし、台湾に行ったときも、たまたま訪ねた台湾電力で、上の人に「ちょうどとかった。今度新しい原子核物理学者をやとったから、ちょっと会ってくれないか」と言われて面会させられたことがある。
ところが日本では、原子力発電をおこなっている電力会社に原子力の専門家がいないのだ。この事実に私が気がついたのは、別件で日本物理学会の会員名簿を調べたときに偶然わかったことだ。メーカー、つまり「何々原子力」というような会社にいる者はけっこう多く、数ページに一人くらいの割で見つかるというのに、電力会社に在籍しているものはほとんど見つからなかったのである。

(森永晴彦『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』(草思社・1997年)64〜66ページ)

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森永晴彦 1922年東京生まれ。原子核物理学者。仁科記念賞を受賞。東京大学理学部在学中の敗戦色濃い時期に、静岡県島田の海軍技術研究所で研究に従事。広島、長崎に投下された原爆の正体をいち早く知った。東大卒業後はアメリカ、スウェーデン等に留学。アイオワ州立大学、バーデュー大学、ルンド大学等で研究生活を送る。帰国後、東北大学助教授、東京大学教授を経て、68年に招聘されてドイツのミュンヘン工科大学正教授となる。91年に退官。85年にはスウェーデンのルンド大学より名誉学位を授与されている。一般向けの著書としては『放射能を考える』(講談社ブルーバックス、1984年)訳書としてC・N・パーキンソン『パーキンソンの法則』(至誠堂・1965年)等がある。

(森永晴彦『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』(草思社・1997年)に書かれた著者略歴)

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お読みの通りです。1995年12月8日、もんじゅでナトリウム漏洩事故が起きた時、そこに、ナトリウムの扱ひについて指示を出せる専門家は居なかった(!)のです。
そして、お読みの通り、そもそも日本の電力会社には、原子力の専門家は、原子核物理学者の森永教授が驚くほどわずかしか居ないと言ふのです。

原子炉と言ふ物を、なめてかかって居るとしか思へません。

平成24年1月21日(土)
西岡昌紀(内科医)

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もんじゅ制御棒で一時トラブル
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1885388&media_id=4
もんじゅ制御棒に不具合=動作試験で一時動かず―保安院、1カ月後に公表
時事通信社 - 01月20日 21:05)

運転停止中の高速増殖炉もんじゅ福井県敦賀市)で昨年12月、制御棒を動かす駆動機構の点検の際に一時動かないトラブルがあり、経済産業省原子力安全・保安院は20日、もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構に対し、原因の究明と再発防止策の策定を指示した。
保安院はトラブル直後に原子力機構から報告を受けていたが、「制御棒はすべて入っており、事業者の対応を見ていた」として、同日指示を出すまで公表していなかった。
保安院原子力機構によると、運転停止中のもんじゅは常用の制御棒13本のほか、予備の制御棒6本があり、すべて炉内に挿入されている。
原子力機構は昨年12月12日、予備のうち1本を引き抜く試験を始めたが、制御棒駆動機構のモーターが動かず、引き抜けなかった。再度試験したところ正常に動いたが、約1週間後に行った別の制御棒の試験でも同様のトラブルが発生。この日の動作試験では正常に動いたが、原因が分からないため、保安院が指示を出した。
原子力機構は、最初のトラブルが起きた後の昨年12月16日、一部の報道機関に口頭で伝えたと説明。しかし、週1回公表する作業状況の広報文にはトラブル以前と同様に「制御棒駆動機構点検」としたままで、1月13日まで「動作不調」の記述はなかった。 



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内科医西岡昌紀(にしおかまさのり)のブログです。日記の様な物ですが、過去に書いた小説、単行本の文章、雑誌記事、ネット上の文章、などもここに収録する予定です。http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5107478.html