小泉改革の功罪

(1)その前に、中曽根改革を振り返ります。
中曽根さんは、それまでの政治の改革を行ないました。
一番分かりやすい例は、「国鉄民営化」でしょう。
誰も出来なかった事を、いくつも成し遂げました。
この点は、素直に評価します。(私、個人は)
しかし、一方で大きな『負の遺産』も残しました。
原発』の大量導入です。

この背景は、何であったのか??
二つ理由があると思います。
一つは、「夢のエネルギー」と中曽根さん自身が信じていたのかもしれません。
二つ目は、「保守本流」で無かった事です。
そのために、どこかの力を借りる必要があったのでは、ないか???
こう推測します。
ウワサは、あります。外国の何らかの機関の影響を受けていたのでは、ないか??
このような「ウワサ」は、よく聞きます。
しかし、証拠は多分、永久に出ないと思います。

中曽根さんには、総理としての「設計図」が有ったと思います。
そのプランに従って、中曽根さんは自分の政治を遂行したのであろうと推測します。

『功罪』、相半ばのように思います。
(功なく、罪の多い政治家は沢山います)


(2)次に、(やっと)小泉さんです。
小泉さんも、ある意味で中曽根さんを意識して、社会改革をしようと
しました。
郵政民営化」が、目玉ですネ???
ところが、中曽根さんと小泉さんの大きな違いは準備期間にあります。
中曽根さんは、弱小派閥の親分だった頃から、自分が総理大臣になったらこうする、と言う事を時間を掛けて練り上げていたと思います。その為の準備にも十分時間を掛けています。

一方、小泉さんは、急に総理になってしまいました。

準備がまるで出来ていなかったと思います。準備不足な分、党内の支持も弱かったと思います。
そのため党内抗争(敵対勢力潰し)と、政策立案の両方をする
必要がありました。
そのため、政策はモデルを外部に求めてそれをマネする形にならざるを得ませんでした。

モデルが、弱肉強食型のアメリカ金融資本主義であったことが、今の日本の社会の不幸を生み出しているとも言えます。
一方で、党内抗争に勝つ事で、従来の『族議員』を弱体化させ公共工事利権を弱体化する事に成功しました。この点では、成功と言えます。
しかし、本来目的としていた郵政民営化のような社会改革は、モデルの出来の悪さもあり
失敗に終わりました。

これらを考えると、従来の政治は族議員が行なっていた事が分かります。
これを潰したために、族議員政治は排除できましたが、『政治の力』が極端に弱体化しました。
小泉さんのような強力なリーダーシップとカリスマ性を併せ持つ政治家なら何とか(際どく)官僚機構とのバランスを取る事が出来ましたが、普通そんな人は居ません。
だから、小泉後、官僚機構のコントロールを失ったまま現在に
至っているのです。

政治家の多くが、政治家として必要な能力を持たなければ官僚機構のコントロールなど出来るはずもありません。
元々、政治家の能力は大幅に不足していたと思います。
それを、族議員政治で補ってきたと言う事だと思います。
族議員政治が無くなってしまった今、政治家が必要な能力を身に付ける以外に、官僚機構のコントロールを取り戻すすべは無い。
このように思います。

私は、小泉改革の真の意味での「成功」は、否応なく国会議員達に
「資質の向上」を求めた部分にある。こう思います。


(3)このまま、官僚独裁国家であり続けるのか???
   政治を政治家の手に取り戻すのか???

一重に、これからの国会議員自身の努力に懸かっています。
また、我々国民もこれまでのように、イイ加減な国会議員の選び方をしていたら、官僚独裁の手助けをする事になります。

「ぬるま湯に浸かって怠けていてはダメだ!!」
「自分たちの事は、自分たちで考えて自分たちで決めろ!!」
これが、小泉元首相の『置き土産』です。

小泉改革は、不成功と思われますが、『置き土産』は、中々立派だ!!
このように、思います。