エネルギー計画 原発を動かせる環境とは<西日本新聞 2014年02月>
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エネルギー計画 原発を動かせる環境とは
2014年02月26日(最終更新 2014年02月26日 10時33分)
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▼全文転載
政府は新たなエネルギー基本計画案を決定した。基本計画の見直しはこれで3回目になる。最初の計画は2003年10月にできた。
その中で原子力発電は「安全確保を大前提として、今後とも基幹電源と位置づけ引き続き推進する」と明記された。計画は07年3月に見直されたが、原発についての表現はそのまま踏襲された。10年6月の第2次改定では「推進」の前に「積極的に」が加わった。
▼解釈次第でどうにでも
その点、今回の計画案は分かりにくい。原発は「重要なベースロード電源」としながら、原発依存度は「可能な限り低減する」。しかし、ゼロにするわけでなく「安定供給やコスト低減の観点から、確保の規模を見極める」とした。
「可能な限り」と付いたのがくせものである。努力の度合いで結果が変わる。限りなくゼロに近づくかもしれないし、現状維持に落ち着くかもしれない。原発は「安定供給とコスト低減に資する」と言って逆に増やすかもしれない。
解釈次第でどうにでもできそうな表現が、なぜ使われたのか。もちろん世論を意識してである。
原発に対する風当たりはなお強い。共同通信社が22、23両日に実施した全国電話世論調査では、原発再稼働に反対は54・9%で、賛成の39・0%とはなお差がある。
世論の主流である脱原発に正面からぶつかるのはまずいとの計算が働いたのは容易に想像できる。
2月9日に投開票された東京都知事選では、原発を争点とする動きがあった。すると、政府は与党との協議などを理由に、経済産業省の有識者会合で昨年12月にまとまったエネルギー基本計画案をいったん棚上げする動きに出た。
そして、選挙結果を見極め、少し修正はしたが、基本的には変わらない政府案を決定したという。
だが、こうした正面からの議論を避けるやり方は課題を先送りして将来に禍根を残す恐れがある。
東京電力福島第1原発事故の教訓は、原発施設の安全性を不断に高めていくだけでは生かせない。
福島事故の教訓は「過酷事故は起き得る」である。どれほど安全性を強化しても、万が一のことがあり得る。そして、どんな原因であれ、原発施設外に大量の放射性物質がばらまかれると、地域と住民の暮らしが一気に崩壊する-。事故はこの事実を見せつけた。
原発事故被害者である住民の暮らしを再建し、地域を再生するのに現状の仕組みが十分なのか。
十分ではない。課題が多い。原子力損害賠償制度の見直しも検討課題の一つだ。原発周辺の関係自治体の地域防災計画・避難計画はさらなる充実が欠かせない。
既に佐賀県玄海町の玄海原発と鹿児島県薩摩川内市の川内原発については事故を想定した関係自治体の避難計画がつくられている。
だが、実効性はどうか。福島第1原発事故は大地震と巨大津波が引き金になった。地震と津波でまず被害や犠牲者が出て、そこに事故が重なった。現場は混乱し、系統だった避難はできなかった。
悪いことが重なって過酷事故に至る。そこまで想定しているか。
▼継ぎはぎを重ねた対策
被害を免れても長期避難生活が待っている。福島県全体の避難者数は現在でも約13万6千人を数え、仮設住宅暮らしも多い。そのため、福島県では体調悪化などが原因で亡くなる「震災関連死」が19日現在で1656人になった。
これは津波など震災を直接の原因とする死者1607人(10日の警察庁集計)を上回った。
事故で失われた地域社会、元の暮らしは容易には戻らない。
未曽有の原発事故は、風評被害を含めておびただしい被害を生んだ。国は事故の責任は東電にあるとして賠償も東電に負わせた。
その結果、賠償の遅れや不公平感を生むことにもなった。原発周辺地域は分断され、地域全体の再生に水を差すことにもなった。
結局、東電任せではだめだと、責任を曖昧なままに国が事故処理などの前面に立つことになった。
継ぎはぎだらけの政策や制度を一から見直す必要がある。原発を動かせる条件、環境は、原子力規制委員会の規制基準だけでは整わない。考えるべきことはまだ あるのに、真正面からの議論を避けるような政府のやり方で抜本的見直しができるか。できないと「フクシマ」の教訓が無駄となる。
=2014/02/26付 西日本新聞朝刊=