3・11から3年 死者の声に耳傾けよ<東京新聞 2014年3月>
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3・11から3年 死者の声に耳傾けよ【社説】
2014年3月11日
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▼全文転載
津波の国に住みながら、われわれは、先人の経験を風化させてはいなかったか。大震災の悲しみを忘れず、未来に向けて死者の声に耳を傾けたい。
◆風化する惨事の記憶
この本が「海の壁」の原題で出版されたのは一九七〇年。その時すでに、地元でも、惨事の記憶は風化しつつあったのだろうか。
文庫版のあとがきとして、吉村さんは、その羅賀で二〇〇一年に講演した際のエピソードを書き加えている。
「話をしている間、奇妙な思いにとらわれた。耳をかたむけている方々のほとんどが、この沿岸を襲った津波について体験していないことに気づいたのである」
大きな揺れが収まって三十分ほど。いったん避難した後、家族の安否などを心配して自宅に戻った大勢の市民が津波にのみ込まれてしまった。「平時には冷酷に聞こえる『てんでんこ』だが、その教えは実に正しかった」
◆犠牲多かった市街地
野田市長の率直な講演は示唆に富む。「犠牲者が多かったのは、沿岸部ではなく、海の存在を忘れがちな市街地だった」「防潮堤や防波堤は高くなるほど危ない。海が見えなくなるからだ」
守るよりも、まず、迷わず逃げよ。平成の三陸大津波の犠牲者が残した教訓も、結局は、明治、昭和と変わらぬ「てんでんこ」だったのではないか。国土強靱(きょうじん)化が海の脅威を視界から遮ることにつながるとすれば、このまま突き進んで大丈夫なのだろうか。
その地では、三年前の大津波で住宅被害が一戸もなかった。死者の声を風化させなかったことが後の人々を守った好例である。
先人たちが石に刻んで後世に残そうとしたメッセージを再確認する試みが、東日本大震災を機に、各地で始まっている。
その土地で何が起きたのか。将来、何が起きうるのか。逃げるべき場所はどこか。よそから移り住んだ人にも、一時的に立ち寄る人にも、先人の経験を共有できるようにする工夫を歓迎したい。
こうした津波碑は漢文など古い文体で書かれている上、物理的に風化していたり、こけむしていたりで判読の難しいものが多い。
◆巨大津波に備えよう
例えば南海トラフ地震の津波想定域にある三重県志摩市阿児(あご)町の「津波遺戒碑」。だれにでも分かるように、地元の自治会が内容説明の看板を 碑の隣に設置した。碑には、一八五四年の安政東海地震の津波で百四十一戸が流失し、十一人が溺死した被害状況とともに「後世の人が地震に遭った際は、速や かに老人、子どもを連れて高台に逃げよ」と刻まれていた。
人間は忘れるからこそ前進できるという考え方もあるが、東日本大震災で、また多くの犠牲者を出してしまった事実は重い。なぜ、命を救えなかったのか。悲しみを忘れることなく、死者の声にあらためて耳を傾けたい。
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