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【忘れない、立ち止まらない】被災地の実態とは異なる“美しい虚像”★(5)
2013.03.10
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130310/dms1303100707000-n1.htm
▼全文転載


 暴動も起こさず、整然と列を作って並び、譲り合い、助け合う被災者の姿。命を顧みずに他人を守り、犠牲となった人々のエピソード。東日本大震災の直後、日本人の“美徳”は国内外から大いにたたえられた。

 けれども、「これぞ東北人」「我慢強くて立派だ」などといわれると、ときどき強い違和感を覚えることがあった。

 称賛の内容にではない。その先にあるものを見ようとせず、そこで“思考停止”してしまう近視眼的な見方についてだ。被災地の実態とは異なる“美しい虚像”が後ろにちらつき、居心地悪くなるのだ。

 「津波原発があれだけ騒がれて、よそからは『逃げておいで』と呼びかけられたのに、ほとんどの東北人は留まることを選んだでしょう。そこに日本人の気概を感じるよね」

 ジャーナリストだというその人のキラキラした物言いに、背筋の凍る思いをしたことがある。いったい何を言ってるんだろう…と、耳を疑うより先に、全身から血の気が引いた。

 テレビや新聞で、一度も見聞きしたことがないのだろうか? そこに残る以外の選択肢を持たない、住民のジレンマを? 「生きていかねばならぬことのほうが、津波で死ぬよりつらいかもしれない」とまで追い詰められた人々の、血の滲むような叫びを?

 そうした当事者の気持ちは、自分が“代弁”できるべくもない。被災地が美談で彩られ、何かと“感動”を求められがちなことも理解している。だが、このときばかりは、想像を絶するような悲嘆を、「耐える姿 美しい」の一言で片付けていいとは到底思えなかった。

 「なぜ津波がまた来るような町に住み続けられるのか」と聞く人もいるが、どんな答えを期待するのだろう。「なぜ毎年台風が直撃する地域に住むのか」「なぜ雪かきの大変な豪雪地帯に居続けるのか」という質問に置き換え反駁してみたい。そこに先祖代々根づき、その場所になりわいが、しがらみがある以上、故郷をやすやすと捨てられるわけがない。何も、整合性の取れた美しい理由があってのことではないのだ。

 陸前高田市では「奇跡の一本松」が修復作業を終え、元の場所へと戻された。これから“奇跡”を見ようと同市を訪れる人も多いことだろう。

 そこではどうか、1本の価値にではなく「7万本もの松が根こそぎ流された」事実に重きを置いてみてほしい。単一樹種の林は根が浅く、津波が来れば全国どの松原でも同様のことが起こり得る。被災地を訪れる人には、そうした“警告”も一緒に持ち帰ってもらえればと願う。

 われわれが生きているのは美談の中ではない。どこまで行こうとも現実の暮らしの中である。そして二度と自分たちと同じ思いをする人がいないよう、その現実からの教訓を伝えていきたいと思うのだ。=おわり

 ■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当する。

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