経済の頭で考えたこと(54) シェールガス革命に伴う「中東地政学」を整理する

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執筆者:田中直毅
2012年12月6日
経済の頭で考えたこと(54)
シェールガス革命に伴う「中東地政学」を整理する
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 エネルギー、安全保障、経済復興は、第2次大戦後も一体としてあった。そして米国は、この視点から中東との関係をその都度構築してきたといってよい。しかし米国の関与能力と関心は、21世紀に入ると大きく変化せざるをえなくなった。対イラク戦争はG・W・ブッシュ大統領が、アフガニスタンでの戦争はバラク・オバマ大統領が踏み込んだものだが、いずれも勝利宣言もなく撤兵の手続きに入らざるをえなかった。そしてこの10年間に米国の財政赤字は膨れ上がり、2011年の夏には2013年以降の財政支出について強制没収(sequestration)の手順に入る取り決めを一旦は結ばざるをえないほどの窮状に陥った。財政の崖の回避は第2期に入ったオバマ政権にとっての最初の試練だが、中東への関与能力そのものが揺らいでいることは間違いない。こうした中で、米国の中東への関与関心に大きな影響を与える「衝撃」が生じた。シェールガス革命である。
第2次大戦後の米エネルギー戦略

 伝統的な天然ガスの採掘条件とは合致しない、従来は商業的には不可能とされていた場所からの採掘によるシェールガスは、ごく短期間のうちに世界のガス需給を一変させるほどの影響力をもつに至った。結果として、米国の原産地でのガス価格は、欧州の5分の1、日本の7分の1程度にまで低下した時期もある。埋蔵量も十分であり、米国では石炭火力からガス火力への転換、そして原子力発電所への投資を抑制する効果まで発揮している。安全保障の視点からは、アメリカズ(南北アメリカの全体)におけるエネルギー自給が見通せるほどの状況をも生みつつある。19世紀前半以来の「モンロー主義」の再現はありうるのか、という問題提起も荒唐無稽とは断じきれないほどだ。
 第2次大戦が終わってみると、米国の生産能力は世界で突出していた。西欧と日本の経済復興がなければ、世界経済は歪なまま、不安定性が属性となりかねない状況であった。
 このときオイル・メジャーズと米国政府の世界把握は重なり合った。メジャーズは、次々と発掘が進む格安な中東原油を西欧と日本に流通させる作業に踏み出した。他方で米国政府は、米国一国内での原油の生産と販売とを合致させる価格帯の模索に入ったのである。米国のエネルギーの対外依存度を極小化させるとともに、相対的な高値で米国内の原油発掘への投資を刺激するという策である。結果としてエネルギー価格は西欧と日本とでは相対的に安く、米国では逆に高くなった。しかしこれは世界経済のリバランシング(不均衡からの回復過程)の条件づくりともなった。東西冷戦に勝利する西側としての枠組みづくりでもあった。
 そして、1970年代の2度の石油危機は、石油消費国としての米国をも追いつめることになった。ここから、サウジアラビアに代表される、OPEC(石油輸出国機構)の穏健派としてのアラブ湾岸諸国に対する米国の外交努力が本格化した。イスラエル国家の維持と安定的な原油の確保とが米国の中東外交の基本に据えられたのである。
イランをめぐる「大波乱」

 こうしたなかで1979年のイラン・イスラム革命の影響は、中東の全域に及ぶことが次第に明らかとなった。パーレビ体制のイランにはいわば中東における憲兵の役割が期待されていた。原子力発電所の建設開始もこうした脈絡から始まっていた。ところがホメイニによるイスラム革命後は、中東全域への革命輸出の可能性の出来と受け止められるに至った。イスラム社会の内部において被抑圧の側に追い込まれることの多かったシーア派が多数を占めるイランは、支配層がスンニー派であるアラブ湾岸諸国との間に緊張を生むことになる。
 そしてこのことは、イスラエルからヨルダンにかけてのヨルダン渓谷にも緊張をもたらした。イスラム原理主義組織がヨルダン渓谷においても拡大基調にあったからである。レバノンで一勢力をなすヒズボラガザ地区で政府機能を担ったハマスは、イスラエルの国家としての存在を公認していない武装組織である。イランの武器がシリア経由で入っているとみられている。
 こうした情勢にイランの核武装化の恐怖が加わった。イランに対しては米国を中心として厳しい経済制裁を課しているものの、経済的困窮にもかかわらず、ウラン濃縮の作業をストップさせることができないままである。イスラエルはイランの核武装の準備完了時期についての推計を行ない、そのぎりぎりの刻限を「レッド・ライン」と呼ぶようになった。「レッド・ライン」越えとの認定を行なえば、濃縮施設破壊のための攻撃はありうべしというわけだ。オバマ米国大統領としては、多次元連立方程式の難問を解く作業を進めざるをえない。近景にはイスラエルのあせりから来る大波乱の可能性があり、そして遠景にはアメリカズのエネルギー自立から来る関与関心の低下がある。
米国「中東からの足抜け」

 1979年から80年にかけて、テヘランの米国大使館で人質となった米国人が444日間もとめ置かれたことが、イランとの関係改善を心理的に妨げていることは明らかだ。しかし「レッド・ライン」の浮上のなかで、巨大な取り引き(グランド・バーゲン)の枠組みの提示をせねばならないのは米国の方であろう。イランに核武装を放棄させ、かつイランの原子力発電所を透明な査察体制のもとに置くためには、少なくとも次の3点の公認が必要であろう。
(1)イランに対してレジーム・チェンジを強いない。
(2)イランを地域大国と公認したうえで地域の安全保障諸措置をともに論ずる。
(3)中東を非核化地帯にするロード・マップの作成とその検証過程とを明示する。
 イランの原子力発電所は仏露独などの技術が継ぎはぎで投入されており、いわばフランケンシュタイン的状況を呈しているとの見方さえある。安全性の確保や使用済み核燃料の処理を考えれば、米イラン原子力協定の締結も不可欠といえよう。
 米国とイランの国家間関係の正常化をテコに、イスラエル国家とパレスチナ国家の並存を工夫する余地も生まれる可能性がある。多次元連立方程式にここまで盛り込むことが可能や否やが問われている。
 遠景として中東原油への依存を極小化した米国経済像がある。10月発表のIEA(国際エネルギー機関)年次報告書によるエネルギー展望によれば、ホルムズ海峡は世界の原油輸送に2035年でも多大な影響(50%分の輸送)を与えるであろうが、その大半は中国、日本、韓国など向けであり、米国一国の安保にはほとんど影響をもたらさないと見るべきであろう。米国の中東からの足抜けという選択肢はありうるのだ。
日米「デカップリング」の可能性

 米国が冷戦時代のような2つの超大国のひとつであったときには、日本の安保は米国と一体であった。歴史を俯瞰してみれば、1980年代前半は米ソの角逐の最終局面に相当した。中曽根康弘首相(当時)はオホーツク海と日本海に展開するソ連原子力潜水艦を監視するに当って、日本列島は「不沈空母」だと表現した。そしてソ連の中距離ミサイルSS20のウラル以西への配備と極東情勢とはデカップル(分離)できないとも表現した。日本の選択肢として、日米安保によるカップリング(連結)しかありえないという見極めだったといえる。
 野田佳彦首相がオバマ米国大統領と最初に会談し、日米安保体制の堅持は日本にとって最も重要と述べたとき、オバマ大統領は「日米安保は21世紀において状況への適合性をめぐってモダナイズされるべき」と応じたという。
 冷戦期の終焉とともに日米の安保をめぐる結びつきは、再定義されねばならない状況となったといえよう。しかしこの点についての日本の内部での論点提示に、見るべきほどのものは過去20年余にわたってなかった。
 第7艦隊によって日本のシーレーン防衛が行なわれてきたのは「不沈空母」のゆえであった。そしていまやシーレーン防衛は中国海軍の最大の関心事である。中国の石油消費量は2030年前後には日本の5倍程度にまで拡大していよう。「米国はかつてと異なり、アメリカズでエネルギー自立だから、シーレーンは中国海軍が守ってあげましょう。どうせ一緒ですから」との提案が中国側から日本側に対してなされるかもしれない状況にどう対応すればよいか。
 たとえば中東情勢への日本の関与が、今日において具体的に論じられねばならないのは、米国とのカップリングの必要性からでもあり、そしてデカップルに結びつく状況が到来しかねないからである。日米基軸は間違いなく再定義されねばならない時期を迎えている。



執筆者:田中直毅

国際公共政策研究センター理事長。1945年生れ。国民経済研究協会主任研究員を経て、84年より本格的に評論活動を始める。専門は国際政治・経済。2007年4月から現職。政府審議会委員を多数歴任。著書に『最後の十年 日本経済の構想』(日本経済新聞社)、『マネーが止まった』(講談社)などがある。

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