【沖縄が危ない】沖縄戦の史実の再評価を 左翼や地元マスコミと中国の離日工作★(3)<zakzak>

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【沖縄が危ない】沖縄戦の史実の再評価を 左翼や地元マスコミと中国の離日工作★(3)
2013.02.28
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130228/plt1302280712001-n1.htm
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沖縄県尖閣諸島。手前から、南小島、北小島、魚釣島共同通信社機から【拡大】
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 沖縄県尖閣諸島への中国の侵略行為は、油断ならない状況に達している。いまや、戦後68年間続いた日本の平和は、中国によって破られようとしているのだ。

 ところが、わが国は沖縄戦の評価を放置してきたため、いま沖縄県内には「厭戦(えんせん)思想」が蔓延している。また左翼や地元マスコミは、沖縄戦の史実を改竄して被害者史観を膨らませており、離日工作のテコに利用している。これでは、中国から武力威嚇を受ければ、お手上げ状態に陥るであろう。

 私は小学校を沖縄に学んだ。戦後教育を受けた教師たちは「沖縄戦は、日本が沖縄を見捨てた戦いであった」と授業中、何度も繰り返していた。さらに、「日本軍は住民を避難壕から追い出し、食料も奪った」とさえ発言する教師もいた。

 ところが、三十数年前、沖縄戦を指揮した牛島満・第32軍司令官(大将)をしのび、帝国陸軍士官学校校長時代の教え子らが全国から集い、牛島司令官が自決した沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)岳で、慰霊顕彰式典を盛大に開催した。

 これを伝え聞いた私は、これまで抱いてきた帝国陸軍軍人へのイメージが実態と乖離(かいり)しているのでは、という疑問を持ちはじめたのである。

 その後、私は沖縄戦をゼロから検証した。その結果、牛島司令官が最期まで住民保護に全力を尽くしていた史実を発見したのである。

 牛島司令官は1944(昭和19)年、沖縄に赴任するや、内務省とともに直ちに住民の疎開を促進したばかりでなく、沖縄地上戦が開始されると、米軍指揮官に軍使を送り、住民保護のために本島南部知念半島を非武装地域に指定し、米軍と共同して住民を誘導していたのである。

 15年ほど前までは、沖縄戦に確かな記憶を持つ方々が多く存命していた。地元紙にも度々、沖縄戦の体験談が掲載されていたが、その中に「戦場で日本軍兵士に救命された」とか、「避難壕に誘導されたうえ、兵糧の配給さえ受けた」という感謝の証言が散見された。

 昨年11月11日、私は愛媛県松山市内で講演を行った。冒頭、「沖縄戦で玉砕された松山歩兵第22連隊の英霊に対し、感謝申しあげます」と申し上げた。

 米軍の進出を阻止するため、第22連隊は一歩も引かなかった。沖縄戦で散華した同連隊の将兵は約2000人に上る。

 講演終了後、ご遺族が私を訪ね、こう語った。

 「沖縄県民の方に、初めて感謝されました。父は志願して沖縄戦に参加し、戦死しました。沖縄の方は、同胞として戦った旧軍人に対し、感謝するどころか非難さえしている。貴殿の今日の言葉に、私たち遺族は胸のつかえがようやくとれました」(八重山日報論説委員長・惠隆之介

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