記者の目:個人情報保護法成立10年=青島顕{毎日新聞}

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記者の目:個人情報保護法成立10年=青島顕
毎日新聞 2013年02月19日 00時00分
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▼全文転載


 ◇血の通った適用へ見直しを

 先月発生したアルジェリアでの人質事件で、日本政府は犠牲者の氏名を帰国まで発表しなかった。01年の米同時多発テロで長男が行方不明になった時、氏名公表に同意した東京都目黒区の住山一貞さん(75)は「私の時は名前が出るのが当然の流れだったが、個人情報の問題も出てきたからでしょうか」と話す。10年前の03年に個人情報保護法や関連法が成立してから、氏名に対する社会の見方が変化してきた。行政機関もそうだ。

 だが、その中に行き過ぎた対応事案はないだろうか。「守るべきものは何か」。その原点を確かめたい。

 ◇個人情報遮断で本人に不利益も
 昨年、東京都内の1人暮らしの友人が倒れたと聞いた。アパートを訪ねたが、隣人や大家も、救急搬送を要請した不動産業者も運ばれた病院さえ知らなかった。業者は「消防署に聞いても『個人情報だ』と教えてくれない」。東京消防庁は、都条例に沿って「本人の同意がなければ個人情報は原則として誰にも教えられない」との立場だった。

 年が明けて回復した本人と連絡がついたが、意思表示できない状態が続いていたらどうなっていただろう。本人もその点に懸念を示した。個人情報保護による情報遮断の間に、本人に不利益が及ぶ恐れはなかっただろうか。

 個人的な話だけではない。川崎市高津区の佐藤知也さん(81)は先月、「ご遺族を探すには最後の機会。このままでは平壌北朝鮮)に眠る霊が浮かばれない」と厚生労働省の担当者に訴えた。佐藤さんは父親が平壌の日本人会の世話役だったため、郊外の墓地に眠る2421人の名簿を持っている。墓参希望者を探しているが、連絡が取れたのは20遺族程度。厚労省に引き揚げ者関係の名簿類の提供を求めたが、担当者は「この墓地の遺族情報を持っていないし、引き揚げの死亡者情報は遺族の心情を考慮して一般に公開しない」と言う。

 シベリア抑留を研究する富田武・成蹊大教授らは昨年、厚労省が保管する約51万人の抑留者の「登録簿」などの提供を求めたが、認められていない。登録簿には、ソ連の収容所係官が作成した抑留者名、住所、生年、家族構成などが載っている。抑留実態解明に不可欠だが、厚労省は本人か遺族にしか渡していない。

 行政機関個人情報保護法は学術研究目的や特別の理由があれば行政保有情報の提供を認めているし、「個人情報」を「生存する個人に関する情報」と定義している。死亡者の登録簿を研究者に提供する法的支障はなさそうだが、同省は「死者であっても個人の情報は情報公開法上、第三者に開示できない」と、別の法令を基に主張する。



 実は、一連の法規ができる前の00年、厚労省は登録簿の情報の一部を「第三者」の村山常雄さん(87)=新潟県糸魚川市=に提供した。4年間抑留された村山さんは1人で死亡者名簿を作っていた。

 91年に来日したゴルバチョフソ連大統領(当時)が持参し、新聞に載った約3万人の名簿が知られていたが、片仮名表記のうえ間違いが多かった。収容所の係官が慣れない日本名を聞き取り、キリル文字で記録した名簿の音訳だったからだ。

 村山さんは死者への冒とくだと感じた。別のロシア政府提供資料に抑留者本人の署名があることを知り、「漢字氏名が分かるはず」として厚労省に提供を求めた。同省は「プライバシー保護の観点から閲覧許可はしていない」と渋ったが、意義を主張し続け、ようやく約3万人分の漢字氏名を確認させてもらったという。村山さんは個人情報保護法施行後の07年、漢字表記の3万2000人を含む死亡者名簿を出版した。「反対や非難は一つもなく、ご遺族ら数百人から支持と感謝の声をいただいた」という。

 一方、厚労省のホームページには今も片仮名の名簿が載る。同省業務課調査資料室は「片仮名名簿は新聞にも載った公知の事実だが、それ以外の個人の情報は公表できない」と説明する。

 ◇隠すことだけに意を向ける行政

 個人情報保護法や関連法の目的は、個人の権利利益の保護。だが、個人名を隠すことばかりに気を取られ、本質的な目的を忘れた対応がはびこっている気がしてならない。情報法に詳しい鈴木正朝新潟大教授は「名刺など名前の情報は隠される一方で、ポイントカードやネット上の売買を通じてプライバシー情報が他者に簡単に渡っている」と法の不備を指摘する。

 10年たった今、個人情報保護法と関連法は、血の通った見直しに取り組む時期だと感じる。(東京社会部)

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