キャンパる:ウクライナ→福島・南相馬、放射線測定器50台寄付 日本から長年援助、市井の支援積み重ね

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キャンパる:ウクライナ→福島・南相馬放射線測定器50台寄付 日本から長年援助、市井の支援積み重ね
毎日新聞 2012年12月21日 東京夕刊
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 チェルノブイリ原発事故で汚染されたウクライナの貧しい村。その地から、東京電力福島第1原発事故で被災した福島県南相馬市に、放射線測定器50台が送られたという。測定器の軌跡をたどると、ウクライナと日本を結ぶ、細く長い支援の積み重ねがあった。【東京外国語大・酒井友花里】

 のどかな田園風景が広がるウクライナのジトーミル州ナロジチ地区。この地区はチェルノブイリ原発の西方、約60キロに位置している。当時の人口は約3万人。今でも1万人以上がこの地に残り、食べ物による内部被ばくが続いているという。

 今年5月、この地区で行われている食事調査に同行することができた。住民が食べている5日分の食事を持ち寄り、放射能を測定、内部被ばく線量との関連を調べている。その食品サンプルを集めている時、昼食に招かれた。「キノコは手をつけないようにしなさい。まだ、かなり汚染されているかもしれない」。長年、調査し続けたウクライナの研究者は、隣でそっとささやいた。窓からふと外に目をやると、隣の家は草が伸び放題の、人が消えた廃虚であった。

 ジトーミル州から、1台当たり約180ドル(約1万5000円)する手持ちの放射線測定器が50台、南相馬市に寄付されたと耳にし、興味を持った。

 「日本に何かしたい」。福島原発事故後、同州の住民の声が強くなったという。チェルノブイリ原発事故後、世界各国から支援があったが、一過性のものが多かった。その中で、NPO法人チェルノブイリ救援・中部」は、現地からの支援要請を受け、中部地区で有志が集まり、1990年、日本の民間団体として初めて現地訪問。それ以来今日まで、活動を続けてきた。医薬品や医療機器の供与、菜種による土壌改善プロジェクトなど、ウクライナの科学者や活動組織と積極的に協力している。

 「住民の被害を最小限にしたい。そんな最低限共有できるものがあるからこそ、ウクライナ側と長年、協力できています」。チェルノブイリ救援・中部ウクライナ駐在員の竹内高明さん(51)の一言には、現地で活動を続けてきた実感がこもる。

 原発事故の被害者を支えようとジャーナリストらが創立した活動団体「チェルノブイリの人質たち」代表のキリチャンスキさんは、「お金を出してくれたのはね、村の年金暮らしのお年寄りたちが多いです。日本の人たちが、自分たちの政府以上に、長年自分たちの心配をし続けてくれたからと言ってね。なけなしの貯金を引っ張り出したんですよ」と語る。



 ウクライナでは、必要に迫られ、日本のメーカーよりも放射線測定器の技術が進んでいるという。行政に頼らず自分たちで測るのが何よりの自己防衛になる。そんな現地での教訓も踏まえ、測定器50台を送ることになった。
 ◇「安全」を知りたい

 11月、南相馬市を訪れた。ボランティア市民によって運営される「放射能測定センター南相馬・とどけ鳥」に、その50台はあった。この測定器で南相馬市放射能汚染マップが作られ、近所のスーパーや市民に無償で貸し出されている。南相馬市の全家庭に行政から測定器が配布される前は、貸し出しの申し込みが殺到していたという。

 「とどけ鳥」では毎週火曜日から金曜日の午前10時から午後4時まで、食品の放射能測定器も利用できる。ここで働く神谷俊尚さん(68)は、「学問的な正確さよりも、できる範囲のことを柔軟にやらないととても回らない」と語る。

 「とどけ鳥」では、放射能測定に関する基礎知識や、家庭菜園で取れた南相馬市の野菜や果物、計2100検体の測定値もホームページで公開している。目指しているのは、どこまでも、現地で暮らす人びとが実際に「使える」ガイドラインだ。「本当に大事な支援ってなんだろうね」とここでボランティアスタッフとして働く小林秀紀さん(64)はつぶやいた。現在、仮設住宅で暮らしている。震災の1カ月前に、原発から20キロ圏内の小高区に住所を移したばかりだった。

    ◇

 一過性に終わらない、細々とした長い支援の積み重ね。そうした支援が、被災した当事者たちの支えになっている。


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