大政翼賛会の記憶

 
(趣味人倶楽部の日記から)
大政翼賛会の記憶   2011年04月02日 12時02分 


「大連立、排除せずと自民・谷垣氏=民主幹事長も「選択肢」」というニュースについて

大政翼賛会の記憶」があるならば、「大連立」などあり得ない。と考えます。
 その記憶が、クッキリと残っているハズの世代の有力者が同様の事を言ったとか・何したとかも聞きます。
 非常時に対応する、と言うのであれば閣外協力など方法はいくらでも考えられます。
 大マスコミの御用マスコミ化と言い、「大政翼賛会」と何ら変わることの無い「大連立」と言い、「何とナ~ク、きな臭い気がする」のは、私の勘違いでしょうか?
 日本の社会の本質は、戦前も戦後も、さ程変わってはイナイと私は思います。大日本帝国陸海軍から、文官の官僚機構に国家権力の重心が移っただけで構造は同じです。
 私の子供のころから、「昔陸軍、今大蔵省(旧)」と言われていました。
 今の大マスコミは、それすら言わなくなりました。
政治が腐敗し、政権抗争をするばかりで、政治を顧みず、それが軍部台頭の一因となったとも言われております。
 「無責任」と言う点では、軍隊も官僚機構も同じです。ドッチモ公務員ですから。リビアのように国民を爆撃したり戦車で攻撃したりしないだけ文官独裁がマシ?と思ったら、それは誤解です。
 「社会が崩壊する」と言う点では、どちらも同じなのです。
 今回は、戦争ではなく国家財政の破綻と言う形で、官僚機構は社会を崩壊させてしまいます。
 結局は、政治家(?)の無能力・無責任が官僚の独裁を結果として許してしまう。そして、行き着くところが社会システムの崩壊と言う事になります。
 日本は、今2回目の「社会システムの崩壊」への道を進んでいる。皆、分かっているのに「それ」を止める事ができない。

 今、そんな状況に、日本の社会はある。と、「私」的には思います。
 
 誰かが、何とかしないと、そうなってしまう。デモ、多分、誰もそう出来ずに、崩壊への道をたどってしまうんだろうナ?と無力感を感じます。

Oh, my God !!!
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