一極集中について思う事(2) 2011年03月16日 12時07分

 
(趣味人倶楽部の日記から)
一極集中について思う事(2) 2011年03月16日 12時07分


巨大地震の被害は甚大で、中でも一番困っているのは東京電力だと思います。原発の大事故の寸前で、現在必死の活動を続けておりますが何とか広範囲に放射能が拡散してしまう、と言う最悪の事態にならないよう祈るばかりです。
 今の世の中はトヨタ自動車のジャストインシステムに象徴されるように効率と金儲け一点張りのように思えます。「お金」しか価値観がないとしたら、余りにも悲しすぎると思います。
 「一極集中」をタイトルにしたのは、東電の福島原発事故、地震と原発事故によって関東圏の電車による交通網が麻痺してしまった。
  この事が「一極集中」の欠点を端的に表しているように思います。一箇所がダウンすると大規模な範囲に影響が及び、電車に見られるように機能を粗方失ってし まう。経済活動、日常生活の効率が結果として大きく落ちてしまう。現代社会のシステムは既にこのようになってしまっているようです。
 原発にして も、中央制御方式の精密なシステムを構築し何重にも安全装置を組み込んでいたのであろうと、推測します。しかし、現実にはそれらは全て地震で機能を失い、 手作業と人海戦術により、後手後手の対応に回ってしまい、それすら上手く行っていないのが現状です(TVで見る限り)。機能を全て失ってしまった原因は緊 急時に安全装置を作動させる自家発電設備がダウンしてしまったためです。
 ここで私が思う事は、①原子炉自体はこれだけの巨大地震に耐えたのに、 電源に同様の耐震処置を施していなかった事と、②電源を複数作り尚且つ場所をできるだけ離れた位置に作ると言うバックアップの考え方をしていなかったので は、ないか?と言う点です。もし機能や設備を分散して作っておけば、今回の様な非常時に、もっと違った結果になったのではないかと思います。
 原 発の規模にも疑問を持ちます。一箇所に大規模な設備を作ってしまったため、これがダウンしてしまうと影響は甚大なものになっています。規模を一定以下に抑 え、分散して数を作ると言う発想があれば、日常生活・企業活動に(首都圏)これほどの影響はなかったと思います。「それでは、量が足りない」というのであ れば、使用量を抑制する努力をすべきでしょう。効率と利益を追求しそれを限界まで進めてしまうと、「一つが狂うと全てが狂う」と言った様な社会が出来上 がってしまうのではないか?と、危惧します。インターネットの設計思想のように一部が破壊されても全体の機能は保たれる、と言う様な考え方に沿って社会シ ステムの作り方を換えて行かないと、将来、一発の打撃で社会システム全体がダウンして容易には復旧できない、そんなモロイ社会になって行ってしまうのでは ないか?と危惧を覚えた事でした。
 企業の利益追求と「社会インフラの便利さと安全性の両方を兼ね備える必要がある」点を混同してしまっているのではないかと思います。スペースが無くなってしまいました。