{日米同盟と原発}第7回「油の一滴は血の一滴」 (3)資源外交 田中の執念<東京新聞>

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日米同盟と原発
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第7回「油の一滴は血の一滴」 (3)資源外交 田中の執念
2013年3月26日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201303/CK2013032602000232.html
▼全文転載


◆買いだめに行列

 一九七三(昭和四十八)年十月、エジプト、シリアがイスラエルに軍事侵攻し、第四次中東戦争が勃発。原油価格が高騰し、輸入原油の八割をアラブ諸国に依存する日本は石油ショックに襲われた。

 首相田中角栄は中東政策をめぐり、アラブと、イスラエルを支援する米国との板挟みに苦しんだ。それは石油か日米同盟かを迫る選択でもあった。

 国内では、田中の掲げる「日本列島改造論」で地価が上昇し、そこへ石油ショックが追い打ちをかけた。短期間で物価が値上がりし「狂乱物価」と呼ばれるパニック状態となった。

 七三年十一月一日付の中日新聞は、婦人セーターが三千二百五十円(前月比71%増)、鉛筆一ダースが二百四十円(同37%増)、タマネギ一キロが 百五十四円(同25%増)にそれぞれ値上がりし、庶民の懐を直撃したことを伝えていた。業者の便乗値上げや買い占めも横行し、スーパーの前ではトイレット ペーパーの買いだめに走る主婦らが長蛇の列をつくった。

 当時、田中を取材した中日新聞東京本社(東京新聞)の政治部記者で、現在七十七歳の大林主一は「あまりのストレスから口元がゆがんでいた。本人は『寝る時に扇風機を当てていたら、こうなった』と言っていた。季節は秋から冬に差しかかるころだったのに」と振り返る。

 田中政権は七三年十一月二十二日、官房長官二階堂進(64)が「今後の諸情勢の推移如何(いかん)によってはイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないであろう」との談話を発表。中東からの原油回復を狙って、アラブ寄りの姿勢を鮮明にした。

 田中の決断のきっかけは発表の一週間前。首相官邸で行われた米国務長官キッシンジャー(50)との会談だった。

 首相秘書官だった木内昭胤は「キッシンジャーは十二月のイスラエル総選挙まではアラブ寄りの姿勢をとってくれるなと執拗(しつよう)だった。田中さんは『ならば米国は石油を援助してくれるのか』と尋ねたが、彼は取り合おうとしなかった」と証言する。

 別の秘書官小長啓一は、田中が石油にこだわった理由の一つに、陸軍の一兵卒として満州に渡った戦時体験を挙げる。

 「ガソリンがあったら車に乗れるのに、われわれ下っ端はずいぶん歩かされた、と語っていた。昔から『油の一滴は血の一滴』が口癖で、資源への思い入れは強かった」

 「油の一滴-」は第一次世界大戦中、ドイツ軍の侵攻を受けたフランスの首相クレマンソーが使った言葉。田中はそれを引用しながら、資源のない日本の悲哀を嘆いていた。

 一方、アラブ包囲網の戦略を狂わされた米国。田中との会談から一カ月後の七三年十二月十六日付の米国務省文書によると、キッシンジャーはイスラエル首相メイア(75)らにこう不満を語っている。

 「自分たちの洞察力と勇気のなさを認められない国との関係は断ち切るべきだ。彼らはイスラエルを踏み台にしたいだけだ」

 この時の米国の怒りは、後のロッキード事件と結びつけてしばしば語られる。当時、通産相だった中曽根康弘も自著「自省録」(二〇〇四年発刊)で、こうほのめかす。

 「田中君は日本独自の石油開発に積極的な姿勢を表し、アラブ諸国から日本が直(じか)に買い付けてくる『日の丸原油』にも色気を見せたのです。こ れが、アメリカの石油メジャーを刺激したことは間違いありません。(中略)結果として、アメリカの虎の尾を踏むことになったのではないかと思います」

 ところが、秘書官だった小長はこうした陰謀説とは別に、米国の怒りは「石油より、むしろウランの方が大きかったと思う」と話す。

 小長が指摘するのは七三年九月の訪欧中に購入を決めた、あのフランス産濃縮ウラン。濃縮ウランは原爆の材料で、日本が米国の核の傘から離脱するこ とを意味していた。「田中さんは資源の多角化で説明がつくような感じでいたが、いくら何でもやりすぎだったのではないか」と話す。

 田中の政策秘書、早坂茂三の著書「田中角栄回想録」に、田中が「アメリカの核燃料支配に頼ってきた日本への姿勢が厳しくなったわけだ。(中略)しかし、あんなにアメリカがキャンキャンいうとは思わなかったなあ」と話していた、と記してある。

 米国の怒りの理由は果たしてアラブ産原油か、それともフランス産ウランだったのか。今となっては分からない。元政治部記者の大林は、首相退任後の田中から本音とも冗談ともつかぬ、こんな話を聞かされている。

 「夜、トイレに行ったら、誰かが座っているんだよ。CIA(米中央情報局)がここまで来たのかと驚いた。結局、それは警備員だったけれど。総理になんてなるもんじゃないね」

 
 
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