避難した福島県民 共に歩む決意は(東京新聞 TOKYO WEB)

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避難した福島県民 共に歩む決意は
2012年12月5日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012120502000092.html
◇全文引用

 3・11は多くの人の人生を変えた。被災地の人たちだけでなく、首都圏に住む私たちの、政治や社会に対する意識も変わった。大震災と東京電力の福 島第一原発事故の後、過ごしてきた濃密な時間で紡いできたものを、衆院選で一票という形で投じるときがきた。福島の人たちと、脱原発首相官邸前デモに参 加した人たちに公示日の四日、思いを聞いた。 
野田首相の演説を聞く松本公一さん=4日、福島県いわき市
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◆田んぼ再生 後押しを
 「福島の再生なくして日本の再生なし。全力を尽くしていく」。四日朝、福島県いわき市のJRいわき駅前。傘をさし、野田佳彦首相の第一声を聞く人 の中に、同県楢葉町出身の松本公一さん(58)の姿があった。「野田さんの言うとおり。現実としてしっかりやってもらいたい」と見据えた。
 代々受け継ぐ六千平方メートルの水田は、ハクチョウ飛来地で知られる楢葉町のため池から約一キロにある。松本さんは小さな工務店を営みながら稲を 作ってきた。二〇〇六年から減農薬栽培に挑戦。「三俵(百八十キログラム)しかとれず大失敗した」三年目の冬、ハクチョウの群れが松本さんの田んぼに舞い 降りた。
 「手伝ってくれよ」。くず米やパンの耳をまき、次第に松本さんが近寄っても逃げなくなった。ハクチョウたちが歩くおかげで土が軟らかくなり、ふん は肥料に。倍以上取れるようになった米は評判の味になった。「白鳥舞」の商標登録を考えていた時、十キロ先で原発事故が起きた。
 田んぼは草で覆われ、ハクチョウはもう降りることができない。避難先のいわき市内の四畳半の仮設住宅で新米を買って食べたが「おととしの自分の古古米の方がうまいなあと思う」とやりきれない表情で話す。
 「多くの人が古里を追い出され、元の生活に戻れていない今、なぜ選挙なのか」。疑問が先に立つ。権力争いばかりの政治家には、被災者が見えていないのだと思う。
 いつか田んぼを元に戻し、ハクチョウに恩返しする。思いは捨てていない。鉢やバケツを並べて新しい栽培方法を試し、えさ用のくず米も確保してある。「私はぼやかない。一つずつ階段を上っている私たちを後押ししてくれる人を選びたい」
避難先のアパートで娘たちや夫と笑いあう守谷尚子さん=4日、福島県郡山市
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◆子どもの将来考えて
 福島第一原発から十九キロの福島県富岡町の自宅から、郡山市のアパートに避難している主婦守谷尚子さん(35)は四日午後、幼い長女と二女と、いわき市の単身赴任先から帰宅中の夫(38)と、家族の時間を楽しんでいた。
 アパートの窓ガラス越しに、衆院選候補者の事務所が見える。支持者を前に応援弁士が「お願いします」を連呼していた。にぎやかさに「選挙が始まったんだな」と実感したが、距離感も感じた。
 夫婦ともに富岡町出身。それぞれの両親もきょうだいもほとんど町内に住んでいた。子の誕生日などの節目には、大家族のように両家から三十人近くが集まるほど、付き合いは良好だった。
 今は親類は新潟県や東京都など各地に避難し、離ればなれだ。長男も茨城県内の高校に通っている。せめて母親の近くにいたいと考え、昨年四月に母の避難先がある郡山市に移った。「親類同士の絆が失われたことが一番大きい」と思う。
 郡山市放射線量が比較的高いため、今も二人の娘を外で遊ばせないようにしている。震災前は、自然豊かな故郷で伸び伸び育った長女たちを狭い室内にとどめておくしかない。現状に「遠くに避難する選択肢もあったのでは」と自問することもある。
 「福島には、普通だったことが普通にできない人がたくさんいる。政治家は、このことをいつまでも忘れないようにしてほしい」
 原発事故後初めての衆院選。今までも投票は欠かさなかったが、今回の選挙は、いつも以上に慎重に一票を投じようと思う。「子どもの将来を考えてくれる人は誰なのか、ちゃんと見極めたい」。室内で遊ぶ子どもらを見つめながら話した。

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