12年末・この国を選ぶ:「支援策」誰なら… 原発自主避難者、訴え深刻<毎日新聞>

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12年末・この国を選ぶ:「支援策」誰なら… 原発自主避難者、訴え深刻
毎日新聞 2012年12月04日 東京朝刊
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▼全文引用

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 4日に公示される衆院選に向け、多くの政党が原発政策の公約を打ち出しているが、原発事故後、自らの判 断で福島県外へ避難した「自主避難者」の中には疎外感を抱く人もいる。避難者を支援する「原発事故子ども・被災者支援法」は6月に成立したが、具体的な支 援策は決まらないまま衆議院が解散し、今や話題にも上らないからだ。東京と山形で暮らす自主避難者たちの思いを追った。
 ◇子ども抱え転々−−東京へ
2Kの部屋に子どもたちの泣き声が響く。あやしても泣きやまない。「自主的な避難といえ、あまりにサポートが少なすぎます」。東京都中野区の都営住宅で避難生活を送る影山綾さん(30)は、長男(1歳11カ月)と次男(8カ月)の隣でぐったりした様子を見せた。
 福島県郡山市で暮らしていた影山さんは10年12月に長男を出産。原発事故後に次男の妊娠が分かった。郡山市は国が定めた避難区域外だったが、子どもの被ばくが心配で避難を決意。北海道や大阪を転々とし、今年1月に中野区に移った。
 夫(42)は仕事で福島を離れられず、周囲に子育てをサポートしてくれる人はいない。区の託児サービスは常に満員。「ストレスが限界。夫とのケンカも増えました」
 災害救助法に基づく支援により家賃は無償だが、郡山市の自宅はローンが残る。光熱費は郡山市と中野区の2軒分。子どもの健康を考えて安全性の高い食材を用意するため、食費もかさむ。子どもに会いに来る夫の交通費も自己負担だ。
 原発事故の支援法が6月に成立すると、サポートの充実を期待した。超党派の議員らも具体的な支援策を定める政府の基本方針に、避難者の要望を反映させるよう働きかけていた。だが、11月16日に衆議院が解散。方針策定の動きは止まった。
 11月23日、影山さんは、さいたま市まで約1時間かけて電車を乗り継ぎ、避難者が集まるイベントに参加した。2人の子どもを主催者に預け、スタッフに日常の不満を聞いてもらった。「少しだけ自分の時間ができました」。表情が和らいだ。
 近づく衆院選。1票を投じるつもりだが、避難者の生活支援はなかなか話題にならない。「避難者の視点に立った政治は期待できないのでしょうか」【水戸健一】
 ◇自分で安全守る−−山形へ
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 福島県南相馬市の高橋通(とおる)さん(59)と妻順子さん(56)は昨年7月、購入した放射線測定器 の数値に目を疑った。自宅敷地内の空間放射線量は最高で毎時3マイクロシーベルト、雨どいは同20マイクロシーベルト超。現在、国が除染目標としているの は同0・23マイクロシーベルトだ。「もう、安全は自分で守るしかない」
 当時、自宅は原発から20〜30キロの「緊急時避難準備区域」に指定されていたが、住み続けることはで きた。しかし夫妻は被災者が無料で住める山形市内のアパートに転居。自宅には高速道で月2回通い、掃除や庭の草むしりに汗を流す。政府は昨年9月、緊急時 避難準備区域の指定を解除したが、自宅敷地内の放射線量はほとんど変わっていない。
 東京都内で小学校教諭をしていた高橋さんは10年ほど前、故郷の南相馬に戻り、祖父と父の後を継いでこけし職人になった。海まで車で15分。近くの山で山菜採りが楽しめた。今では遠い昔のことのようだ。
 東京電力が精神的苦痛に対し支払っていた月10万円の賠償金は、避難準備区域の解除から猶予期間の1年間が経過したことで今年8月に打ち切られた。南相馬市は当初、自宅の除染は4月に終わると説明していたが、現在は「来年秋」になった。
 山形市内にある避難者交流支援センターには毎日、福島県の地元紙が届く。高橋さんは衆院選関連の記事をむさぼるように読むが「避難者支援策」はなかなか見つからない。「自主避難者は捨てられたということか」【前田洋平】
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 復興庁によると、古里から離れて暮らす福島県民は46都道府県に5万8608人(11月1日現在)。福島県によると、うち約半数は自主避難者。投票は不在者投票制度を使って避難先でも可能だが、投票先を決めかねている人は少なくないとみられる。
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