ベラルーシで国連・IAEA・USSRが人体実験しようとした事を忠実に再現している日本国支配層

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ベラルーシ国連IAEAUSSRが人体実験しようとした事を忠実に再現している日本国支配層
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/143.html
投稿者 爺さん 日時 2011 年 10 月 02 日 15:46:43: pkMRoq8j2xu8g

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ベラルーシ国連IAEAUSSRが人体実験しようとした事を忠実に再現している日本国支配層
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/143.html
投稿者 爺さん 日時 2011 年 10 月 02 日 15:46:43: pkMRoq8j2xu8g

味噌も糞もとお墨付きをいただいたECRRの、 ECRR2006: CHERNOBYL 20 YEARS AFTER 12章にV.B.ネステレンコとA.V.ネステレンコが書いた、第1節「ベラルーシ住民への緊急放射線防御施策実施についての分析」の抄訳・要約です。
http://www.euradcom.org/publications/chernobylebook.pdf  p.185-p.190

ヨウ素剤投与の躊躇・絵に描いた除染・高汚染地への帰還・経済的理由による汚染食品消費、今日本政府と地方自治体等が行っていることを、ベラルーシでは国連IAEA・WHO・共産党が率先して進めました。
それにベラルーシ人が対抗して事故による追加被曝年1mSv以下を決めました。

国連IAEA・WHOの傀儡にだまされるな!被曝地のみなさん!この国土に住みここを大切と思う人たち!自分の家族の救済を他人任せにしているとこうまでされる。
大日本お飾り天皇帝国は、国民のだまし方と殺し方をちゃんとベラルーシの経験から研究し学んでいました。(本まものなら那須に避暑にやるか?あるいは他民族支配か?)

(以下抄訳・要約、 ベラルーシを日本、モスクワをホワイトハウスと読み替えれば、後はほとんどそのままで相似。ただし科学者と子供については?)

1986年4月28日と29日にベラルーシ共和国科学アカデミー核エネルギー学会は、原発100km圏内の全住民の移住とヨウ素剤の予防的投与を政府に提案した。
1986年4月提案は受け入れられず、5月初めになってヨウ素剤投与と30km圏内からの移住が決定された。5月、数百名の子供たちがロシアの汚染されていない地域へ送られた。

 ベラルーシ政府によるこの決定の後、5月始めに科学者と技術者の委員会が組織された。1986年5月3日、ネステレンコはINE放射線安全サービスの専門家グループとチェルノブイリ地域を視察した。それに基づき、再び100km圏内住民の移住と放射線防護施策を求める要望書を政府に提出した。
(学会が出したそうですよ学会が。--訳者)

 5月末、ゴメル地域のセシウム137沈積地図が描かれた。そのデータに基づき、ベラルーシ南部地域(原発50-70km圏)の住民が6月5日から10日の間に移住した。
被災地区住民の移住が決定された事故後1ヶ月間、地方当局は次の施策を実施し始めた。
・労働者の被災地区からの退避禁止。
被災地域に新しい居住地を建設することを奨励。
そのような誤りの1例は、共産党モギリョフ地区委員会と地区行政委員会によりなされた、チェリコフ地区メイスキー居住地を建設し、同地区チュディアニー居住地とマリノフカ居住地の住民をそこに移住させると言う決定だ。
その結果、新設居住地の住民は、40Ci/km2(18,500Bq/kg)から80Ci/km2(37,000Bq/kg)に汚染された事故以前の個人耕作地で農産物を生産する羽目になった。
(どこの国でも地方当局は利権にしがみつく。--訳者)

1986年6月22日INEはモギリョフ地域のセシウム137沈積地図を、公衆衛生サービス省・農産省・モギリョフ地域行政委員会に提出した。
何の反応もなかったので、N.A.ボリシェビチとV.B.ネステレンコと水文気象学委員会議長は、その地図を政府・ベラルーシ共産党中央委員会に提出し、公衆衛生省がモギリョフ地域の50居住地内に住むことの危険性を検討するように提案した。
提案は受理されず、具体的決定は何もなされなかった。9月になり、共産党委員会が学会を訪れた。チェルノブイリ関連問題から学会員を引き上げさせ、共産党の不適切な防護施策に学会のお墨付きをつけさせるために。
(日本はベラルーシよりも数ヶ月遅い。御用は早川地図をエセ科学と言い張った。共産党は政権についていませんでしたが?--訳者)

 1986年9月、科学アカデミーとベラルーシ政府の承認を得て、INEは共和国南部のセシウム137及び他の放射性核種の沈積地図を提出した。
(群馬の航空機モニターはこのスケジュールに従ったか?--訳者)

 地域農産物はすべてのベラルーシ南部地域から放射線検査のために学会に送られた。
当時食品の汚染検査はINEと科学アカデミー物理学会ベラルーシ大学核物理学部で行われた。
1986年夏、ベラルーシMAP農芸化学サービスが参加して土壌サンプルがベラルーシ南部地域全体で採取された。9月から10月にかけて、農耕地の沈積地図が作られた。
(日本傀儡帝国完全に負けとる。--訳者)

 セシウム137、37kBq/m2(462.5Bq/kg)以上に汚染された地域には2,105,200人が住んでいた。子供は50万人だった。大まかに見積もって、領土の4分の1、人口の5分の1が被災した。
(これはいかに、もしかすると日本の方が深刻と言うことか?--訳者)

現在ベラルーシチェルノブイリ地域は歪んだ人口構成が特徴だ。破局後135,000人が移住した。少なくとも200,000人が強制的に退避させられたり自主的に退避した。
最初に退避したのは若者・知識人・熟練専門家・公務員だった。
いくつかの被災地では、年金生活者が人口の70パーセントを占める。
(日本と似たようなもんですかね。--訳者)

 放射能汚染は農業と食品に深刻な問題を引き起こした。
約20パーセントの農耕地が1Ci/km2(462.5Bq/kg)以上のセシウム137に汚染された。ほとんどが伝統的農耕地域だった。
1986年から1990年にかけて、257,100ヘクタールの農耕地が農業生産から除外された。
(これは無視したくなる現実。--訳者)

 ベラルーシでは、住民への効果的な防御施策を含めて、汚染地域での対策にたくさんの誤りがなされた。
これらの誤りは、モスクワにあったチェルノブイリ政府委員会の指令に従って行動したベラルーシ当局とモスクワの統合政府による、誤った指導の帰結だ。
モスクワの官僚達は、ベラルーシの被害次元は著しくはないと世界に示すために、汚染地域での生活の安全性に関する誤った描写を描くことに忙しかった。
(良くまあ似たことを。--訳者)

 その結果生じた職務怠慢例は次。
1986年6月13日、ソ連農業生産連邦委員会議長L.N.クズネツォフはソ連主席内科医P.N.ブルガソフと結託して「汚染地域農業生産の暫定的勧告」を受け入れた。
この勧告は、5マイクロレントゲン(500μSv/h)から20マイクロレントゲン(2000μSv/h)の第3退避区域内で、農業生産を許可しその農産物をベラルーシ全国に分配することを許可した。
第3区域内の住民は一年中地産地消のために大量の放射性核種を体内蓄積した。
(あれまあ福島・北関東・南東北だわね。--訳者)

 同じく残酷で皮肉な勧告は、L.N.クズネツォフとソ連内科医議長代理A.I.ザイチェンコが協力して受け入れた「1986年調理済み肉生産のための20,000,000Ci/kg(2.0×3.7×10の17乗)から1,000,000Ci/kg(1.0×3.7×10の16乗)に汚染された肉使用の勧告」だ。
ソーセージのセシウム137許容レベルは、セシウム137が18,000Bq/kgから37,000Bq/kg含まれる汚染肉と汚染されていない肉を混ぜることで達成された。
(日本の牛乳やミンチはてやコメとそっくり。--訳者)

 1986年6月24日、同メンバーにより「放射能汚染された動物からの羊毛の1次加工についての勧告」が受理された。
唯一の羊毛加工工場はゴメル地区ズフラヴチにあった。同一工場で汚染された羊毛と汚染されていない羊毛を一緒に処理した結果、すべての羊毛が放射性になった。それは衣服に加工され、身につけた人の外部被曝線量を増やした。
(日本でも注意、地域牧場のウールで作った放射性マスコット・汚染牛の皮で作った高級放射性ランドセル・高級デパート放射性革靴・放射性絹パンツ!--訳者)

 1986年7月23日、「汚染地帯で収穫された1986年産穀物の購入・利用・貯蔵・使用に関する暫定勧告(簡約)」が承認された。
これは汚染穀類の生産・飼料としての利用・酒類生産への利用を推奨していた。その結果セシウムは牛乳と肉、最後には人間を汚染した。
(日本傀儡帝国臣民の運命か?瓦礫焼却施設よりずっと恐ろしい、国産放射性原料を使用した飼料工場!フィルターさえない。--訳者)

 白ロシア連邦穀類生産省と白ロシア連邦農業生産連邦委員会の推奨に基づいて、1987年6月27日、10万トンの放射性穀類が加工され家禽農場と豚養殖場で与えられた。セシウム137のレベルは3,700Bq/kgから370Bq/kgだった。
 
 1987年7月1日、ソ連政府から命令があった。
これはソ連公衆健康サービス省による結論に基づいていた。つまり、汚染地住民の障害被曝量を人生70年間50rem(500mSv)に設定した。
これにより、次に述べる予防的活動を実施しながら、他地域から輸入した食品を利用して、40Ci/km2(18,500Bq/kg=1,480,000Bq/m2)以上の汚染地に暮らし続けることが可能とされた。
(次を見て下さい。まあ傀儡政府ばかりか、某政党と言ってる事が?--訳者)

・40Ci/km2(18,500Bq/kg=1,480,000Bq/m2)以上の居住地の除染。(土壌層の除去・硬い覆いの形成・屋根の葺き替え)居住地周辺の畑の鋤きこみとばん種。60Ci/km2(27,750Bq/kg=2,2220,000Bq/m2)以上の居住地は1987年中に、他は1988年に。

・40Ci/km2(18,500Bq/kg=1,480,000Bq/m2)以上の穀物畑の土壌保全を1987年中に、牧草地の保全を1987年から1988年に。穀物畑の一部を緊急牧草地に転換する。
 
・40Ci/km2(18,500Bq/kg=1,480,000Bq/m2)以下の私有農場の土壌保全を1987年に。20トンのゼオライト使用。肥料散布量増加。

・80Ci/km2(37,000Bq/kg=2,960,000Bq/m2)の畑の農産物の汚染を1987年から1988に減少させる。その後3から4年で農産物汚染は許容基準内に下がると予想。10年以内に私有農地からの産物に対する制限をすべて撤去。

 1988年3月、ソ連農業生産連邦委員会議長V.ムラコフスキィは、1.5Ci/km2から40Ci/km2の汚染地での農業生産の特殊性に関する指針を承認した。

 この指針が指示したことは次。
毎年1.5倍の燐肥料とカリウム肥料を牧場と牧草地に散布する。
家畜繁殖の続行。
100平方mあたり2kgから3kgの二過燐酸塩・3kgから4kgの塩化カリウム及び硫黄化合物・石灰・ゼオライトを散布し、果物・野菜・ジャガイモ中の放射性核種を減少させる。

 家禽に地場産の餌を与えることは、屠殺1.5から2ヶ月前に汚染されていないか低汚染の餌を与えることを条件に、制限されなかった。
牛と豚の飼育には何の制限もなかった。これも屠殺前の餌について同様の条件。
汚染飼料によりすべての製品が汚染されるにもかかわらず、生産継続が要請された。

 ゴメル農業委員会の指令に従って、1987年から1990年にかけて、企業の役人は家畜を飼うために草と穀類が植えられていた移住ゾーンへ人々を送り込んだ。

 1989年9月、92人の科学者が、放射能汚染された地域に安全に住むという考え方に結びついた危険なゲームに参加した。
彼らはゴルバチョフに請願した。
彼らは主張した。ソ連放射線防護国家委員会が受け入れた生涯35rem(350mSv)と言う線量は、1957年のチェリヤビンスク核事故の影響ばかりか、広島と長崎の住民の健康状態を長期間検討した結果に基づいている。たとえ生涯35rem(350mSv)を超過しても、退避した住民を元の場所に戻し、何の制限も設けずに普通の生活を再開させるべきだ。
この提案は、IAEA,WHO,NCARE.UNによって承認された。

 1989年、ベラルーシウクライナの科学者は35remに同意しなかった。
ベラルーシ科学アカデミーは、汚染された地域で生涯7rem(70mSv--年1mSv)を推奨した。
(ここがソ連内民族国家と大日本傀儡他民族支配国家の違いか?食品だけでも生涯100mSvが我々原住系土人及び原住との混血へのおこぼせ。--訳者)

 ソ連公衆健康サービス省とソ連国家放射線防護委員会は、ICRPとWHOの代表をベラルーシに招いた。
1989年6月24日、科学アカデミーでの会議で、ネステレンコらは生涯35remを受け入れるように説得された。
ネステレンコの報告中に、住民に汚染されていない食品と放射線防護を供給する財政が欠如していることを理由に、ペレレン博士は生涯70remから100rem(年10mSvから14.3mSv)を受け入れるべきだと宣言した。
(何じゃこりゃあ、傀儡日本帝国では子供は年20mSvと教師が言い張っている!ああ、これからあの人のことを日本版ペレレンと呼ぼう。--訳者)

そして心ある人たちのたたかいの結果、汚染地年1mSvが採用され、目標値は1991年に5mSv、1993年に3mSv、1995年に2mSv、1998年に1mSvととされた。


(以上--ベラルーシ以下なんて納得できない。このタイムスケジュールではネットビデオの惨状です。ここから逃げ出すか、たたかうしかありません。)




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福島原発事故がもたらす放射能による環境汚染と健康被害の情報室
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